潤う僕たちは加湿器と旅に出た

加湿器のある世界を喜んでみる

カーシスD、温度(ぬくもり)の献身。

time 2024/12/14

私の部屋に住む加湿器の名前は「カーシスD」という。

かっこいいだろう。私が決めた名だ。DはリポビタンDからもらった。タウリンは大事だからね。

購入して3年目になるが、この加湿器には誰にも真似できない、独特の献身ぶりがある。それは決して派手なものではなく、ただ淡々と、しかし確実に、私の生活を支え続けてくれる存在だ。

カーシスDが我が家にやってきたのは、私が風邪を引きやすかった冬のことだった。乾燥対策に、と何気なく選んだ加湿器だったが、開封してスイッチを入れた瞬間から、その誠実な性格は明らかだった。

「ウィーン」という静かな音と共に立ち上る湯気。まるで「ご心配なく」と控えめに、でも確かな存在感で語りかけてくるような。それ以来、カーシスDは私の生活の中で、信頼できるパートナーとなった。

特に印象に残っているのは、去年の冬のこと。インフルエンザで寝込んでいた私の枕元で、カーシスDは一晩中、変わらぬペースで加湿を続けてくれた。タンクの水が少なくなると、小さなランプで知らせてくれる機能がついているのだが、その時のカーシスDは、慌てることなく、いつもと同じように静かに仕事を続けていた。

普通の加湿器と同じように、水が少なくなれば自動的に運転を停止する。でも、その時までの間、カーシスDは決して気を抜くことなく、安定した湿度を保ち続ける。その姿は、まるで看護師のように思えた。

そんなカーシスDの佇まいに、私は何度も心を癒された。物には物の在り方があるのかもしれない。少なくとも、カーシスDにはある。それは決して派手ではない、でも確かな存在感だ。

梅雨の時期、窓を開けっ放しの部屋で静かに待機しているカーシスDを見かけると、「今日は休んでいいよ」と声をかけることがある。すると、カーシスDは待機モードのランプを静かに点滅させる。まるで「必要な時のために、ここにいますよ」と告げているかのように。

ある日、友人が遊びに来た時のこと。
「この加湿器、すごく落ち着いた雰囲気があるね」
そう言われて、私は嬉しくなった。確かに、カーシスDには不思議と人を安心させる力がある。

考えてみれば、人間関係だって似たようなものかもしれない。派手な言葉や大げさな行動ではなく、静かな気遣いや変わらぬ優しさこそが、相手の心を本当に支えるのではないだろうか。

カーシスDの「献身的な仕事ぶり」は、決して目立つものではない。でも、その変わらぬ姿勢は、確かに私の生活を支えている。それは、誰かのためを思う静かな愛情の形なのかもしれない。

最近では、カーシスDの前を通るたびに、つい「ありがとう」と声をかけてしまう。それに対して、カーシスDはいつも変わらぬ「ウィーン」という音で応えてくれる。その音が、まるで「お気になさらず」と言っているように聞こえるのは、きっと私の思い込みだけではないはずだ。

加湿器に人格を見出すなんて、客観的に見れば少し不思議に映るかもしれない。でも、日々の生活の中で、こんなふうに物との関係性を見出すことは、決して悪いことではないと思う。むしろ、それは生活を豊かにしてくれる、大切な感覚なのではないだろうか。

カーシスDは今日も、私の机の隣で静かに、でも確実に仕事をしている。時々、タンクに水を補給しながら、その姿を見守る私。この何気ない日常の中に、確かな安らぎが宿っているように感じる。

季節は変われど、カーシスDの誠実さは変わらない。そんな姿に、私も何かを教えられているような気がする。派手さはなくても、相手のことを思いながら、着実に、誠実に。

カーシスDは、単なる加湿器として以上の存在だ。我が家の空気を潤すだけでなく、心も静かに整えてくれる。そんな特別な相棒と出会えたことを、私は密かに誇りに思っている。

これからも、カーシスDは変わることなく、その献身的な姿勢で私の生活を見守ってくれることだろう。そして私も、その静かな優しさを、大切に受け止めていきたいと思う。

だって、それがカーシスDらしさなのだから。

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